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そりゃ、映画を観る前にこれを見たら、燃え萌えだよ!! 


394 エディコイルの友人たち

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{BE5BAB10-DD1B-4D04-8E9D-CD8C10657665:01}

どうにもこうにも
言い訳するわけするわけではないが
パソコンの調子が悪い
いざブログを書こうと思うと
パソコンの調子が悪い
仕方がないので
スマホで書こうと思うと
阿呆のソフトバンクが
低速のなんたらで、
反応遅くしやがる
まぁいいわけだが

とりあえず
すまほーで描く
ただ
いちいち打ち込むのが面倒臭いので
口で書いている
口頭筆記だ
ただしこれが
打つよりもめんどくさい
以前ほどではないが
聞き間違いが多い
ただ何となくブレードランナーみたいで
面白いのでこのまま続けてみる
以前にもブログで投稿したが
この映画
とても見るのに苦労した
劇場未公開

DVDも4,000円以上した
しかし今回廉価版でなんと980円
早速予約購入
鑑賞
普段の僕ならここで劇場未公開で
あったことを
ぐちぐちと書き並べるのだが
しかし今回は違う

面白い傑作であるが
未公開の仕方がないだろう
何せ話が全然ない
盛り上がりがない
当然ながら花もない
地味と言えばこれほど地味な映画も珍しい
{CE288140-5987-4ABF-9DEB-D302B9215CE4:01}


                      なんせ主演が、
ロバートミッチャムである
これだけでももう地味だ

どんなに内容が、
派手で波瀾万丈であっても
ロバートミッチャムが
そこにいるだけで
地味になってしまう
もちろん
僕はロバートミッチャムが
大好きだ
でも地味なのは真実だ

現代で言えば
クリストファーウォーケンだろうか
脇役であれば
そうでも無いのだが
主役となると
途端に映画全体が
いい意味で地味になってしまう

2人の共通点は目だ

あの死んだようにな
何も考えていないような
何もかも見通してるような

あの2つの穴が
見てるこちらをどんよりとした
世界に引きずり込む
{76F19A0C-44CC-4E5E-A302-C9BF5C396AAA:01}
この映画のタイトル
エディコイルの友人たち
映画の内容は
このタイトルのままである
もう少し詳しく言えば
エディコイルと友人たちだろうか
とにかく
ポイントなのは
エディコイルの日常における
友人たちとの関係性だ主人公と彼らは
一般的に見れば友人だ
しかし
一般の人間と違うのは
彼らはお互いを
騙したり利用したりすることを
日常としている
それを特別なこととは思っていない
なぜならそれが
彼らの仕事なのだ
{6F464BF2-7F69-4EE2-8DDC-C0FCBA4643E7:01}

普通の人の日常における
異様な出来事を
普通じゃないテンションに描けば
観客は安心する
しかし
普通じゃない出来事に
対して
普通に淡々と地味に
対処している人間を見ると
そこに
観客は
普通じゃない世界に生きている
普通じゃない人々の
日常を見ることができる

騙し騙され
裏切り裏切られ
殺し殺される
それが因果応報という
大仰なものではなく
主婦がパートで
レジを打つようなテンションで
描かれる
そこには言いようのない迫力が生まれる
{24D9FBC2-A704-43B3-B54E-4B13234A1004:01}



イェーツ監督は、
職人監督だ
だから、
スタイルはない

どんな題材を扱っても
監督特有の匂いが
出てしまう人とは、
決定的に違う

イェーツ監督は、
脚本によって作品のスタイルを決める

この映画においては、
完全にトーンを押さえた、
映画的な見栄えを捨てた

サスペンスすら、
押さえている
何故なら
そういう脚本だからだ

イェーツ監督の脚本を読み取る能力は、
ハリウッドでもトップクラスだ
だから、
テーマから、
撮影や音楽が
逸脱することはない

イェーツ監督は
職人監督の鏡のような男なのだ

{CF55BD56-AC32-4E0A-9102-ACA79FDAB160:01}





395「ヒックとドラゴン2」 一作目のファンにとっては…

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いまさら、
この映画が、
劇場未公開になりそうな事実に
なにを言っても、
愚痴になる
負け惜しみになる
でも、言う。

僕が、
いま、
ブルーレイを持っていなくて
フランス版のブルーレイに
日本語吹き替えが入っているという
情報がなければ

この映画を7月まで
観ることは出来なかった
昨年
全世界で公開されている
アニー賞まで取った
映画をだ!

それも7月になっても
観られるのはDVDだ!

僕たち日本に住んでいたばっかりに
この映画を
映画館で見ることは出来ないのだ

この映画が、
傑作だろうが
駄作だろうが
そんなことは関係ない。

僕は今回のことと
「チャッピー」の残酷描写カットの蛮行の
2点において、
映画は映画館で観なくてはという
映画館信仰が
完全になくなったていうか
好きな映画を映画館で
やんないだもんしょうがねえじゃん!!


もう、いいじゃんと
映画館に行くお金と時間を
DVDの購入に回せば、
そんでもって
時々、すかすかだけど、
金はかかってる大作映画を
IMAXで見れば

これ以上愚痴ってても
現実はどうしようもないので
やめる

さて
このPart2だか、
もしかしたら、前作のファンは、
激怒するかもしれない

この映画の前作は、
見た人は少ないが、
見た人は熱狂的に支持します
僕もその1人ですが
part 2は
そんな人たちの気持ちを
裏切っているかもしれません

でも僕は
これはこれでとても好きです
意外な展開でありましたが、
とても興味深い作品でした


ここからは
ネタバレします
この映画のDVDの発売は
7月です
ぜひ見た後に
読んでください
{8789D950-1C09-49FC-B8A7-3BE397E76A38:01}

前作を見た人の中には
本編は大好きなのだが、
ラストのヒックのナレーションで
がっかりしたという人がいる

仲良くなったドラゴン
ペットと表現したのだ
それに関して僕は
彼らとドラゴンの関係は
現代の人間の馬の関係だと
理解している

馬に乗ったり
競馬を見たりしたことがある人は
わかると思いますが
馬と人間は命がけの関係
人間は馬に命預ける
そこにどちらが主人であるかなんて
関係ない
どちらが命を握っているかと言うのが
大切なのだ
そして相手に命を預けられると言うのが
本当の信頼である
それがペットであろうが奴隷であろうが
言葉なんかどうでもいい
とにかく
最近はものの本質も見ないで
言葉尻だけで何か意見を言おうとする
名前は呪い
そんな言葉がある
名前をつけられた途端
そのものはその名前にとらわれてしまう
言葉だけでその本質を変形させてしまう
それを呪いと言うのだ

さて本作だが
この呪いがさらに加速した
ペットなんてもんじゃない
武器となってしまったのだ
ドラゴンが

だか、この展開を十分に予想できた
前も言ったが
この作品におけるドラゴンは
馬だ

昔の合戦には
軍馬が重要な事は
誰にもわかるだろう
その軍馬が
飛び回り火を噴くのだ
武器になるのは
当たり前と言えば当たり前

ここで重要となってくるのが
ヒックと周りの状況だ
それが、
ドラゴンという武器を
必要としてしまったのだ
{1F22E7E3-7243-4B7A-8DCB-C1C4131E44C0:01}

ヒックが、
母との出会いと
父との別れを
体験した

そして、
本人の意思とは関係なく長になった

それこそが
ヒックがドラゴンを
武器として使わなければならなくなった
大きな理由なのだ
平和であれば友達として
一緒に空を飛んでいればいいのだ
しかし結局
ドラゴンが炎を吐き、
破壊の力を持つ限り
人間はそれを武器として使い
1番ドラゴンと仲良くした人間が
武器としてのドラゴンによって
支配者となれる

長として強くなければならない
ヒックにとって
Truthは最強の武器なのだ一作目が
好きだった人にとって
一作目のヒックとドラゴン達の
友情の絆は
最強の支配者となるための
準備ではなかったのか
そう思えるだろう

それは正しいと思う
そしてそれは仕方がないと思う
このシリーズは
恋愛ドラマではないのだ
{CB516C9A-8E0C-4BA1-8845-904923C5B735:01}
ファンタジーであり
海賊戦記モノなのだ

戦いの中で生き残るいう
物語なのだ

そうなれば
空を飛び火を噴くドラゴンを
仲間にするという物語は、
必然として
ドラゴンを利用した
戦いの物語になってしまうのだ

僕はこの二作目の本当の評価を
三作目を見るまで控えようと思う
三作目に置いて
この物語はどちらへ行くのか
それによって
この物語の本当の評価が
決まる

{70EE0493-F9C8-4BC9-ABB4-A6AACD2FD7D5:01}













396 「セッション」僕は、音楽の素人でよかった

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いろいろな意味で
話題の映画だ
菊池成孔というジャズミュージシャンが
この映画を酷評して
それに対して、
映画評論家の
町山さんが反論した。

この議論の顛末は、
ネットで、セッション、町山で、
検索して
町山さんのブログを読めば
すぐにわかる。

この議論を読んでいて
僕は、
アマデウスに対する、
一部、音楽家の批判を思い出した。

あの時の批判は
そのひとたちが
モーツアルトを絶対視、神聖化して
あの映画のような
俗物として描くのは
けしからん、という極めてレベルが低く
IQの低い批評で
町山、菊池論争とはレベルが違うが、
ただ
共通しているのは
専門家と、
それ以外の人の
決定的な格差だ。



音楽とか踊りとか
そういう専門的な
俗世間からかけ離れた世界を
映画で描くとき
その道の専門家は
その道の専門家しかわからない観点で
批判するときがある

その観点、理屈は、
相当文章がうまいひとでも
俗世間の、専門外のひとには
わからない

今回の
菊池さんの批評が、
全然わからないのもそういうことだろう
(まあ、かれの独特すぎる文章のせいもあるが)

ただ
それらの批評は
総じて
映画の批評ではない

つまり
この映画に関しての菊池さんは
この監督の、音楽の捕え方、考え方が不快であって
それは
極めて個人的な、生理的な感想であって
けっして
映画評ではない

つまりは
音楽にまったく素人で
楽器が一切弾けない僕にとって
モーツアルトが英語をしゃべっているのがおかしい・・
そういうレベルにしか読み取れない。

バカな評論家が
ディアハンターを観て
ベトナムの戦場で、
ロシアンルーレットなんか行われていない・・と言った
そんなことが重要か?


確かに
ディティールがいいかげんだと
その映画の力は落ちる
しかし
普通のひとにしかわからないような
ディティールに足をとらわれて
物語が停滞したら
それは
必要なもの、描かなくてはならないことなのか?

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この映画を僕は
やはりアマデウスと比較してみていた

ふたりの音楽家
凡庸と天才

凡庸は、
天才の才能に嫉妬してつぶそうとする

見る前
予告や情報で想像していたのは
教師のしごきは
若者の才能を伸ばすためであり
若者は
それを乗り越え、
より大きな天才が誕生する物語だと思っていた

しかし
この映画は
そんな上品なものではなかった

もっと下世話で、
それゆえに情熱と暴力に満ちたもの
町山さんの言うように
完全なバトル映画だった


僕は
音楽に関して
素人なので他人の意見を鵜呑みにするが
鬼コーチのフレッチャーの指導は
完全に的外れであり
ゆえに
それにしたがっているアンドリューも
間違った方向に
突っ走る。

それは
物語が終盤になると
信じがたい世界に突入する

僕は
このラストに燃えた

まるで
あしたのジョーのホセメンドーサ戦の
最終ラウンドのぶん殴りあいだ
音楽の殴り合い

そこで演奏される音楽に、
燃えに燃えた

それが
音楽的に正しかろうが間違っていようと
どうでもいい
映画的な
構成、表現によって
興奮のるつぼに叩き込まれた。

僕は
この映画を観てシミジミ思った

音楽の素人でよかった・・と

あなたにもありますか? 死ぬまでに絶対に観たい映画

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あと数日で、ホワイトドックが、来る
犬ではない
DVD である
まったく感無量だ
この気持ちが、わかるひとは少ない
この映画、僕の死ぬまで絶対に見たい映画のリストにあった映画だ
このリストに最初に上がったのは、
ケーブルホーグ、つまり砂漠の流れ者だ
これは、劇場でリバイバル上映してくれた
気狂いピエロも比較的早く見られた
これらは、まあ、
世間的に評価の高い映画なので、いつかは見られるとは思っていた
しかし、絶望的な映画もあった
ニコラスローグの赤い影、
ウォルターヒルのサザンコンフォート
これもビデオ時代になってすぐに見られた
次に難易度が高かったのが、
今回、DVD 化された、
エディコイルの友人、とホワイトドックだ
ここも突破した
あとは、超難関の1本だ
シドニールメットの怒りの刑事
もちろん、劇場未公開
数年前にシネフィルイマジカで、
やったという情報のみ
誰も話題にしないので、復刻もない
これは、さすがにあきらめてる

想像を遥かに超えた生涯ベスト級の作品

397 「ホワイト・ドック」元飼い主のいったあのセリフに憤死しそうになった僕

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いぜんに
「裸のキッス」の評を
書いたときに
サミュエル・フラー、あなどれない
このおっさん、
とんでもない・・と書いた

このおっさんのすごさ
なんだろう

それは
簡単にいえば
カテゴライズされない監督。

社会派
B級映画の巨匠
フランスのシネフィル系監督の憧れ

いろんな言われ方があるが
そんな
カテゴリーには収まらない
完全に凌駕した、
完全なる映画監督

映画監督には、
職人と作家がいる

それぞれに巨匠はいる

でも
このふたつの腕を持った映画監督は
サミュエルフラーと、あの監督しかいない

両方の要素を持っている監督はいる
しかし
両方で超一流なのは
フラーおっさんと、あの監督だけだと
僕は確信した

もうひとりは
最後に書きます





この映画、
ジャケットや説明文に偽りはない

低予算のB級映画

そのなかでも、
常識的な映画ファンからはほとんど無視されるジャンル
動物パニックものだ

さらに
低予算なので、
襲い掛かってくるのは、白い犬1匹

同じ、甦る映画遺産シリーズで出ている
燃える昆虫軍団のほうが
よっぽどスケールがでかい。

つまりは
ぼんやりと見ていると
「なんだ・・この程度か・・」と思うかもしれない

だから
もしぼんやりと、なんとなく
映画を見たい方は、
この映画、やめたほうがいい。

さらに
やめたほうがいいのは
このサミュエルフラーが、
ゴダールなんかに褒め称えられた、
アート監督だと思っている人

僕は、
フラーの映画に知的なアートを感じたことはない

なんせ
時間も1時間30分だ
どう考えても
アート映画の長さではない

じゃ
どんな映画かと聞かれれば
「僕が思う、本物の映画」




この映画で
僕が一番、戦慄したのは
元の飼い主登場のシーンだ

こんなおいしいキャラをあっさり出して
すぐに引っ込める

しかし
そのインパクトは最凶だ
特に
この野郎が
言ったあのひとこと
ジュリーが「あなたがホワイトドックを作ったのね?」の
答えていった、あの一言
もうそれだけで
この野郎のゲス精神が見事に、鮮やかに
表現される

僕は
これから
映画の名セリフを聞かれたら
このセリフを言うだろう

この男の風貌や格好も最高だ
凡庸と善人の中に巣くう差別のマグマ
この男に育てられている娘ふたり(ひとりはフラーの実の娘)の
将来を思うと、
絶望感は増幅する

この映画に希望などない
明るい未来などない

なぜなら
これは
人間のなかの差別を描いているから

登場人物たちが戦うのが
差別だから



このホワイトドックは
もうインプットされた、差別マシーンだ

従順、無垢の犬に対して
最も効果的な方法で
差別を刻印する

その方法も
シンプルがゆえに
恐ろしく効果的だ。
差別の脳みそは
こんな下劣な方法を考え付く
これだけでも
もう
吐き気がする

こんな差別マシーンにたいして
黒人調教師、キーズは
人間的な使命感というよりは
調教師の意地で
挑んでいく

犬好きでなくても
観客は
なんとか治してくれと思う

これだけでも
この映画は大成功だ

こんな短い時間で
こんな低予算で
これほど強烈に差別の恐ろしさと根深さを
感じさせてくれる映画はない

それも極めて映画的に
わかりやすくだ

このわかりやすさが
フラーの強さだ

表現として
下に見られようとかまわない
下品と見られてもかまわない
映画なんだから
わかりやすくやればいい

なんだか
似ている。

あの監督に

楽しくて
悲しくて
ばかばかしくて
ウキウキして

壮絶で
素早くて
粋で
血の匂いがして

そして
美しい映画を撮る、監督

岡本喜八に









398 「ライアンの娘」 発情よろめき妻 ムラムラが止まらない

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この映画を見ながらずっと思っていた
「これはにっかつロマンポルノだな」
その思いは、
最後まで消えなかった

この思いを
この映画に対しての
巨匠の作った超有名な名作に対しての
悪口だと
恥辱だと思う人は
僕のブログの初心者だろう
僕は
にっかつロマンポルノの熱狂的な信者であり
最も尊敬、シナリオの師と仰いでいたのは
ロマンポルノを一番書いた
桂千穂氏だと何度も書いてきた

だから
この「ライアンの娘」を見ながら
うれしさのあまり書いたのだ
「これはにっかつロマンポルノだと」

夢見がちな少女ロージーは、
村で一番の、知的な男性教師、チャールズとの恋愛を望んでいた
このふたりの結婚に至るまでの過程が、
意外に短い。
全体に長い映画なのに、
このシチュエーションが短い

さらに
恐ろしいほどにわかりやすい
ロージーのチャールズに対する色目
チャールズが徐々にそれに欲情するさまが
本当にわかりやすい演技で
表現される。

もちろん
それを直接、セリフでなんていわない
表情としぐさと、
なにげない日常会話で、
あくまでも
さりげなく
でも
わかりやすく
簡潔に描く。

これを
下手な監督がやると
直接的なセリフで
日常ではありえないしぐさで
だらだらと
何度でも
描く。
もうお客は、
その気持ちわかってるよ
なのにまたセリフでやる
客はばかにしてんのかと思う
つまりは
それがいまの下手が作った日本映画

結婚式から新婚生活に
至る過程で
ロージーの人生に対する憧れが
すべて
幻想であったことが
わかる。

知的なチャールズが
ただの平凡で退屈な男だとわかる
その男との日常もやはり退屈
なにより最悪なのが
退屈な男は
性生活においても
なんの刺激をくれないのだ

そこに
危険な刺激に満ちた男がやってくる
イギリス軍将校、ランドドルフ

この将校と浮気に至る描写の
恐ろしいほどあっさりしている
さらに
わかりやすい

まるで
デビッドリーン監督が

こんなことにまるで興味がないと
言ってるようだ
しかしそれが違うことが明白だ

 
この映画は長い
3時間もある。
きっと難しい抽象的なシーンが
だらだらと続くと思っていた
きっと
大河な歴史が描かれるものと思っていた

でも
違っていた。
小さな町の
世界から見れば小さな出来事
なぜ
3時間なのか?

丹念なのだ
愚直なまでに丁寧に映画なのだ
言葉で言うのではなく
映画だから
映像で見せなくてはならない

イーストウッドは
自分の撮影がすべて予定通りで
予算内で撮ることを
ドンシーゲルなどの撮影哲学から
細かいことにこだわらないことといっていた
その反面教師として
リーン監督を上げ
「自分の望む天気を待って、撮影を何日も待つなんて
意味がない」と
言っている

どちらが好いとはいえないが
現実問題として
リーン監督は晩年、
なかなか映画は撮れなくなった

おそらく
イーストウッドなら
この映画を1時間30分で終わらせるだろう
まるで絵画のような村の風景など
作らないだろう
そして
現代はそのイーストウッドの時代だ

ただ
デビットリーンを時代遅れとはいいたくはない
なぜなら
僕は映画が好きだから

スピルバーグが
撮影中に彼の映画を見ている気持ちは
よくわかる

デビッドリーンの映画は
教科書なのだ

映像で感情を表すには
こう撮れといっているのだ
こうやれば
端的に、わかりやすく観客に伝わると
教えているのだ

いつのまにか
わかりやすく、丁寧が
退屈に見えてしまっている

わかっていないのに
わかったふりが
賢いことだと思われている

お願いだから
映像を仕事として作っている人は
デビットリーンの映画を
最低
100回は見て欲しい
そうすれば
わかると思う

映画が

 

 

 

 
  
 

 
 
 



 


デザイン by 高橋ヨシキ氏

399 MAD MAX 怒りのデスロード

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あのですね、基本的に
僕はひねくれ者でして
世間的な評価を無理やりでも
認めたくない人間でして
MAD MAX 怒りのデスロード

この映画はもう絶賛の嵐でして
見た人間はもう熱狂的にほめるわけです。
本来なら、
それらの絶賛の声とは違った形の
理屈をひねりだすのが
このブログなのですが
この映画に関してはもう世間の評価通りです

めちゃくちゃ、すげえ
こんなの見たことない
なんなんだ一体、このMADな映画は!!
その通りです
僕も世間の評価に、激同でございます
さらに加えれば
この怒りのデスロードは
完全に
あの大傑作「MAD MAX 2」をも
超えました
とにかくまず言いたいのは
この映画はDVDで見ても本当にしょうがないです
いやむしろ
DVDなら見ないほうがいいです
だって
この映画、TVで、普通の音で
TVサイズの画面でみても
つまんない映画になります

 この映画、
物語がないわけではない
それどころか
小説にすればかなり分厚い世界観が潜んでいる
しかし
それらは
すべて映画の画面の奥に
潜んでいる
本当に良く見つめれば
わかることがたくさんあるが
まず
1回や2回でわからない
なぜなら
スピードが尋常じゃない
あまりのスピードに最初はトリップする
そのスピードは
最近の大作映画のように
スピードが上がればあがるほど
いまなにが起こっているのかわからない
誰が誰をどんなふうに殴っているのか
よくわからないというスピードではない
ジョージミラーの映画を好きな人なら
よく知ってると思うが
彼の映画のスピードはとてもわかりやすい
スピードがMAXなのだが
とてもよく見えるのだ

監督が
「日本人が字幕なしでも、話がわかるようにつくった」と
いうように
話は単純極まりない
行って帰るだけ
誇張でも
デマでもなく
映画の8割はチェイスです
そこにそれぞれのエモーション、感情を持って
乗り込む
逃げる側も
追いかける側も
そのエモーションのぶつかり合いが
実際の金属同士の衝突、破壊に繋がる
これこそが
映画といわずして何が映画だ!!

ただまあ、この手の映画がだめな
気の毒なひともこの世にはいる
この写真を見て
燃えない人間もいる
こんなアホなトラックが爆走しながら迫ってくるだけで
「祭りじゃ、祭りじゃ」と
騒げない人もいる
そういうひとは気に毒が入ってしまった
悲しいひとです

この車は
ピーターウィアーの「キラーカーズ/パリを食べた車」への
オマージュです
同じオーストラリアの監督として
同じ時期に
まったく対照的な作風で
ハリウッドに
殴りこんだ二人のこういう思いの交差は
ファンとしてはとてもうれしい
この映画、なぜかPG-15ですが
えげつない、わざとらしい
残酷描写はありません
だから
これを読んでいる童貞小学生のみなさんは
「俺は高校生だぜ」という顔で
強行突破してください
本当に絶対に
なにがなんでも
映画館で見ないとだめです
なんならDVD発売は禁止して欲しい
この映画専門の映画館を作って欲しいです
さらに
都内に住んでいるひとは
立川のシネマシティの
「極上爆音上映」
略して
「極爆上映」で見てください

 
   
 


 
 


 


 
 
 

獣たちよ! 俺たちの「英雄の館」は、立川にある!

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 これは、映画館の座席表だ
上映しているのは、HEROでも
進撃の巨人の、初日の座席でもない!!

8月2日日曜日の「MAD MAX」の座席だ!!
もう公開から、2ヶ月!!
それも、場所は立川だ!!

立川シネマシティーの極上爆音上映

略して極爆!!
素敵過ぎる、ネーミング!!
この映画館の、MAD MAX上映は、マニアの間では、「英雄の館」と呼ばれているそうだ
もちろん、俺もここで見た!!

君も見ろ!!

この立川シネマシティの
英雄の館で!!




 

今年の映画は、この2本がぶっちぎり!!

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恐らくというか、
確実というか
この2本を越えられる映画は
少なくとも
今後、5年はないだろう・・と思う
年末の「スターウォ-ズ」でも
無理だろうと断言できる
なぜなら
もし
SWの新作がこの2本を越えているとしたら
それは
僕にとって生涯ナンバー1映画ということになる

そりゃー、いくらなんでも
無理だわさ

それにしても
今年の夏の映画はなんなんだ




 

401 「インサイド・ヘッド」  かなしみなくしてよろこびなし

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もう誰もが言っていることを
ここでいうのも気が引ける

でも、いう

何のことかは見た人なら
わかるだろう

本編が始まる前の
あれ・・である

配給会社がやる
どうしようもない、
バカは数ある

クソみたいな邦題
見当はずれなお笑い芸人による宣伝

ただ
それらは、いざ、映画館に入って
見始めれば忘れる
どうでもいい

しかしだ
今回のバカは映画館の中にも
侵食してきたのだ

どうでもいい他人の家族写真を
ドリカムの歌に乗せて見せられる
それも
1曲、丸々聞かされるのだ
とにかく
映画が、
始まらない。

もし
予告編が終わってさあ、始まると思ってから
延々、見たくないものを
見せられるのだ

これを
拷問といわずして
なんという?

だから
もう誰もが文句言ってる訳
おそらく
ドリカムのファンが一番、悲しむ
つまり
こんなことやって、誰得なわけ?

僕はもう「時計仕掛けのオレンジ」状態
あのドリカムの曲聴くと
吐き気がします

思わず
床に叩きながら
「ドリカムは悪い人じゃないんだ!!」と
叫びながら
窓から飛び降りたくなります




さて
本編ですが
完璧です

こういってしまえば
終わっちゃいますが
もう
それ以外、いいようがない

でも
完璧という言葉が持つ
冷たさとか、
きっちりしていると
そういう感じがない

もちろん
神経質のほど細かいところまで
きっちりしている
でも
きっちりしてるようには見えない
暖かさ

ピクサー映画で、
トップレベルの映画はみんな同じだ

暖かな完璧映画

SFやフャンタジーが出来る
本当に優れた点は
論文にしたら分厚い本1冊でも
説明が出来ない
難しい世界を
一枚の絵で
見せてしまう

訳のわからない用語と
複雑怪奇な構造図に満ちた
脳と記憶と感情の関連性を
誰にもわかるように見せてしまう

それも
1級の娯楽として



少し前に公開された
ノー内なんとかいう日本映画と比べれば
その志の違いがわかる

おんなじ世界を描きながら
一方は、同世代の女性しか見れない
おっさんは、とてもじゃないが共感できない

ところが
インサイドヘッドは
嗚咽をとめるのが大変
横に5歳の子がいなければ
泣きまくっていた
でも
映画があるシーンに来たら
5歳の女の子も泣いていた
50過ぎのおっさんが並んで泣いている

世界を視野に入れた本気は
本当に強烈です

これは
アニメです
すべてを0から作らなくてはならない
当たり前のことを言っているようですが
これはマジで大変です

それも
現存する街だけが舞台ではありません
ほとんどの舞台が、
少女の頭の中
そこにいるのは
少女の感情
ヨロコビ、カナシミ、など5人
そのキャラを作るだけでも大変

さらに
そこには記憶がまんさい
記憶もいろいろある

どうでもいい記憶から
大切な記憶

さらに
少女の大切なモノが建物として表現されている

友達世界
両親世界
そして
おどけ世界

引っ越して、憂鬱になった少女
父親が猿のまねをしておどける
いつもなら少女も同じように真似て
笑いあう

でも
少女は反応しない
無視してしまう
別に父親のことを嫌いになったわけじゃないのに
でも、
おどけることは出来ない

脳の中のおどけの世界が崩れ落ちる

それを見ている女性は、
あの日のことを思い出す
なぜか意味もなく両親をうっとうしく
思い始めてしまったあの日

父と母も思い出す
いきなり無愛想になってしまった娘のことを

これだけで
大人も子供も
若い女性も
老人も
心に突き刺さる
感情が揺さぶられる

こんなのは、
数ある細かい設定のひとつ
こんな優れた設定が
もう秒刻みで詰め込まれている
何回見ても
気がつきがあり
感動がある



ほめるところを文章にして説明するのが
難しい場合はよくある

しかし
ほめるところが多すぎて
疲れる映画も珍しい

とてもじゃないが
こんなブログでは紹介しきれない

ほんと
元来、映画についての文章など
なくてもいい

見ればいいし
見て素晴らしさわからないなら
こんな文章を読んでもわからない
まあ、ぶちゃけついでに暴言を吐けば
この映画を見て
「まあ、おもしろいんじゃね」とか
「まあまあだね」とかいう人の感受性を
僕は疑う
そんな人がいたら
僕は「あ、そうですか」といい
時計を見ながら
「そろそろ時間だから。じゃ、また」といいながら
そいつとは2度と会わない

いままで
僕が見た映画の中でも
ここまで
全方向にやさしく、面白く、泣ける映画を
見たことがない

特に一番たまらないのが
子供と日々対峙し、よろこび、かなしみ、怒り、いらいらしている
親だろう

つまりは
この映画の登場人物である
少女の脳内に存在する
いまを生きる少女を客観視して
感情をそして記憶を作り出している彼らは
子供の成長を見守り
幸せを願い
健康を思う
親の気持ちでもあるのだ

わかっている
いつの日か
この子は自分から離れて
自分の見えないところで
傷つき、かなしみ
そしてよろこぶ

わかっている
なぜなら
自分も同じように
親を離れ
世間を知ったから

でも
いま、可能であるなら
少女の感情を守り
擁護してあげたい




そういう観点からいえば
注目すべきは
かなしみ、の存在だ

完全なるネガティブな存在である
かなしみを
遠ざけたい気持ちはある

でも
人生には
かなしみを知ったからこそ
わかるよろこびがある

よろこびがより輝くためには
かなしみも必要

でも、
親としては
出来る限り
子供をかなしみから遠ざけたい

その葛藤が描かれる
5歳の子でも楽しめるアニメの中にだ

とにかく
何回でも見てください
何度でも、
何歳になっても
感情揺さぶられる
なにかが
詰まってます

つまりは
これはもう永遠の名作というやつです



なんなんだ、今年は!!

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「キングスマン」

普通の年なら
ぶっちぎりのNO.1映画が
波状攻撃してくる

本当に可能なら
この映画
立川の例の極爆上映で見てください

「キングスマン」
「インサイド・ヘッド」
「MAD MAX」

もうNO・1は、趣味の問題です

おいおい、JJ。
本当に大丈夫か?

スターウォーズ

402 「キングスマン」 すべてが僕好みのオーダーメイド的映画

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マークハミル


まず僕の世代、40代、50代の人間で
洋楽、特にロック好きは
オープニングは
絶対に、
鳥肌を立てながら笑います

ska-n-tasticさん、kazzpさん
ほんとに、これは僕たちの映画ですよ
OPにあの曲のあの部分を
あんな使い方をするなんて

きっと
劇中にも洒落た音楽の使い方が
されていると思いますが
その辺はおふたりに
お任せします




なんというか
もう
すべてが
完全な僕のような映画オタクの
血を騒がせるパーツで出来ている映画

もっと
細かく言えば
アクション、スパイ映画の要素

それを
現代のスピードで、
過不足なく羅列する

とにかく
その並べ方
つまり
構成に一切の無駄がない
もう
病的なほどに無駄がない

さらに
そこにあるスパイスがふりかけてあります

イギリスといえば
これしかないでしょう

そう
あまりにも悪趣味なブラックユーモア

特に
ラストのあるシーンは
完全に
「ドクター・ストレンジラブ」です

久しぶりに
劇場で
大笑いしてました
ひとりで

まあ
極爆なので誰にも聞こえなかったでしょうが




この映画
監督の「キックアス」のマシュー・ヴォーンが
明らかに意識した映画がある



マイケル・ケインの『国際諜報局』
007のアンチ的な立ち位置で
制作されたこの映画

徹底的に
007とは違う
労働階級のスパイ
下品な言葉使いと
やぼったい黒眼鏡

この辺の設定は、
キングスマンにおいては
主人公のエグジーにおいて生かされ
コリン・ファースとマイケル・ケイン扮する上司は
そんな彼を、
エリートスパイに育て上げる役柄だ

恐らくは
音楽や名前を含めて細かい引用やリスペクトに
満ちた映画であろうが
僕にはかなりの部分がわからないと思う

だから
その辺は、つわものどもの任せて
僕は物語のほうの感想に力点をおきたいと思います

ちなみに
この写真の方は誰でしょうか?
ヒントは
超有名な映画の新作が控えた
誰もがご存知のかたです
僕は映画を見ている間
気がつきませんでした・・
答えは、このブログの最初のポスターの左上に
こそっと書いてあります

さて
ここからは
ネタバレです



昔から
脚本を勉強する上でよく言われたことですが
どんなに悪党でも、
野良犬を拾って
かわいがる描写があれば
観客の同情を引ける

この映画において、
エグジーが唯一、他のスパイと違うのは
犬を殺せなかったこと
実際は
誰も殺さなかったわけだが
実際に引き金を引けなかったのは
エグジーだけ

これは
個性豊かな脇役に囲まれて
ともすれば
埋もれてしまいそうな
主人公の存在を
浮かび上がらせている

この手の映画は
話は大体、決まっている
特に
ジャンル映画は
物語の流れは、
わかる

スパイ映画において
悪党の野望は潰える。
なぜなら
悪党の野望は
制作時期に起こって欲しくないこと
大体は
大量虐殺だ

これが
実現して終わったら
なんの映画かと思う
未知への飛行じゃないんだから・・と

だからといって
最近は、何が起こるのかわからない
TVドラマの氾濫で
単純な筋書きでは
客は満足しない


そこでこの映画がやったのは
センスのいい悪ふざけだ



ラスト近くの、
頭ばっかんにかぶさるふざけた音楽

凶暴になった民衆の酒場の喧嘩な感じ

それらはもう見ていて楽しいから
観客は
拍手喝采する

頭が爆発するやつらは
悪党に選ばれた、金持ちなので
罪悪感はない
ただ痛快なだけだ


あの教会での殺戮ダンス。
悪ふざけもここまでくると
美しい

基本的に
映画の暴力は美しくて楽しい

創意と工夫で
どこまでも
なによりも楽しくなる。

映画における暴力は
無限の可能性を秘める

それは
MAD MAXでも
この映画でも
十二分にわからせてくれた



菊池成孔氏が、
こんなことを言っていた

「最近、すべての分野で90年代が正しいとされている」

最近のヒットCDも
まったくいつの時代のCDだと思うほど
90年、80年代だ
たしかにその時代を生きた人間にとっては
うれしいが
反面、これなら昔のCD聞けばいいじゃんと思うこともある

タランテーノ以降
コピー、リスペクト、懐古趣味は
許される表現になった

それらが
新しい衣によって新鮮に見えれば確かに
楽しい

ただ
80歳の、創始者のジョージミラーが出てくると
やはり
すべては吹き飛んでしまう感は否めない



403 「スター・ウォーズ フォースの覚醒」ネタバレなしよ編 JWとJJ

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あまりにも
世間で語られすぎて
いまさら
何かを言うのも恥ずかしいが
そんなことを言っていては
このブログが本格的な停止状態になってしまうので
なんとか
僕なりの見方で
今年最後で、最大の話題作を
書いてみたいと思います





それにしても
久しぶりのブログで文章が硬い

まず
僕なりの視点はジョン・ウィリアム
いわずと知れた
この作品、いや、このシリーズの全体の音楽を担当した
もはや、生きる伝説と化した偉人だ

奇しくも
日本では、ほぼ同時期公開となった
スピルバーグの「ブリッジ・オブ・スパイ」
久々に巨匠のスコアー二本立て、
こいつは楽しい・・と思いきや
このスピルバーグの新作のスコアーは、
トーマス・ニューマン!!
これは、
かなり衝撃だ
おいおい、いまさら
喧嘩かよ・・と
いや、きっと「スターウォーズ」と重なったんだよ・・
いやいや、
それなら、
絶対、ジョンはスピルバーグを優先するし
スピルバーグの力で
制作を遅らせてでも、
ジョンを待つに決まっている
それほど
スピルバーグの作品には、
ジョン・ウィリアムの音楽は
絶対なのだ

なら、なぜ?

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理由はシンプル
ジョンの体調が思わしくなかったから

理由は簡単だが
かなり不安だ

つまりは
あのスピルバーグの映画を断るほど
体調が悪いということなのか・・・
考えたくはない・・
余計な心配・・なんだろうと思う

ただ
もうひとつここからわかることがある
あまり
考えたくないことだからさらっと書いてしまう
スピルバーグ映画の次世代のスコアーは
トーマス・ニューマンが
受け継ぐということ

そういう意味でも
僕らのような
スピルバーグージョンのコンビが当たり前以前の当たり前だと
思っていた
オールドファンにとっては
「ブリッジ・オブ・スパイ」は
注目だ


さて、
今回の新作の監督は、
JJだ。
このブログでは、
映画監督としてよりも
TVドラマの製作者としての言及が多いJJ

この映画も、
そちらの視点から見ると結構、興味深いし
意外に
新鮮だ

以前にJJの前作「スタートレック インツウザダークネス」の
宇宙船のチェイスシーンで
お前、スターウォーズの新作の練習してるだろ、と書いたが
その突っ込みは正しかった

と、いうよりは
この新作はすべてそれである
つまりは
JJのいままでのキャリアは
まるで
スターウォーズを撮るためのものだったのだ

この映画、
あまりにも多くのことが背負わされている。
その中でも最も重い荷物は

新旧のファンの納得だ
これを裏切ったがゆえに
ファントムメナスは、
フャントムメザシになってしまった(にゃーー)
それは
旧作のキャストをだすだけで済む問題ではけしてない
新しいキャストに人気俳優を出すだけでいいわけがない

懐かしくありながら、新鮮でなくてはならない
そして
なによりも
映画として面白くなくてはならない
当たり前のことだが

そんなことが出来るのかJJ?

出来たのである

いやむしろ、完成した作品を見ると
恐らくJJにしか出来ないことだったのだ

他の誰にも
現役を、現場を離れ
作り手として死に体のルーカスには
絶対出来ないことだったのだ


まずは、
物語の核の部分を
女性が担う

これはもうJJの名を世に知らし召した
女子大生スパイアクション「エイリアス」や
「フリンジ」だ

心ならずも事件に巻き込まれるヒロインという構図も
完全に手の内だ

そして
ストーリー構成からいえば
ジャンル映画のお約束から入り
ありえない展開と謎で新鮮味を加えて
客を引っ張る構成は
もうJJが「LOST」で始めて
いまや、
ドラマ世界の潮流になっている構成だ

それらが
いにしえのスターウォーズ世界で
渾然となり
突っ走るさまは壮観でもある

その辺の細かい部分は次回のネタバレ編に譲るとして
とにかく
まいど言ってることですが
ヘンな意地と、ひねくれで見るつもりがない人は
そういう意味のない、
どうでもいい
心は捨てたほうがいいですよ

僕たちは何のために映画を見るのでしょうか?
楽しむためです
驚くためです
感動するためです

なら、
スターウォーズを映画館で見ないなんてのは
ありえません

楽しむため
驚くため
感動するため

映画館に行ってください



403 「スター・ウォーズ フォースの覚醒」ネタバレありよ編 物語世界の革命児

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以前にJJの
スタートレック・インツウダークネスの評を書いたときに

スタートレックとスターウォーズの新作を撮るなんて
大したものだよ・・と書いた。
もちろん、尊敬の意味を込めてだ

恐らくは、
スタートレックの成功によって
今回の起用となったと思うが
その作品をいま、見返してみると
実に、面白いことに気がつく

JJ版スタートレックの1作目は
前日談だ
若き日の、カークとスポックの話だ
要するにこれは、スターウォーズにおける
フャントム・・いや
ファントムメナスだ

ところが、ここになんと
JJはレナードニモイを出してきた
それも
スポック役で

どうやったのか?

タイムスリップさせて・・

笑ってしまう。

めちゃくちゃである

さらには
若き日のスポックと会話させてしまうのだ

なんでこんなめちゃくちゃをしたのか

それによって
熱狂的なスタートレックマニア、
トレッキーが喜ぶからだ

それでいながら
映画のストーリーは面白く
新しくカークやスポックを映じる若き役者も
十分に魅力的になっている

もしもだ
もし
JJが、スターウォーズの前日談、
ファントムメナスを撮ったとして
もし
若き日の、アナキン・スカイウォーカーの前に
ダースベイダーが現れるというストーリーが
スクリーンに現出したとしたら・・あんなに酷評されただろうか





JJの作り出す世界の大きな特徴は
物語のお約束事の
タガをいきなり、無理やり
外してしまう・・ということだ

サスペンス映画で
いきなり主人公が死んでしまう

現代社会にいきなり
恐竜が現れる

過去のアルカトラズの囚人が
全員、
現代に蘇る

とにかく
冒頭にいきなり物語のお約束をぶち壊す
驚いている客に
その理由を説明していると
またいきなりタガを外す。
そうなると
観客の中にある
物語を先読みしようという
こざかしい思考回路を切断してしまう

それは
当然のことながら
危険は伴う
長年の映画の歴史の中で作られた約束事を
ぶち壊すのだ

観客から一気に拒絶されるかもしれない

事実「アルカトラズ」というTVシリーズは
1シーズンで強制終了させられた

タガをはずしながら
物語は
破綻してはならない

スターウォーズとは
それ自体がひとつのジャンルだ
しかし
JJはそのタガをいきなりはずした

それが
オープニングの設定説明の1行目
「ルークが消えた」だ

そして
それを物語の核にすえた
本来
このスターウォーズの主役ともいうべき
ルークを消した

ただ登場人物の中では
その存在は大きく
物語の謎となっている

まるで
「ゴドーを待ちながら」だ
登場しない男を待つだけの話

そして
その男の登場をクライマックスに
持ってくる

実は
JJのこの手法は物語の約束事を
熟知してないと
できない
そこを
勘違いしているひとが
ただ物語を破壊すればいいと思っている




こう考えていくと
JJの起用は、
適任だったのかもしれない
彼ほど
現代において
ジャンル映画を新しく出来る監督も
いないのかもしれない

これで
スターウォーズは新しいサーガに突入できる
もう
古い世界観に囚われる必要はなくなった

この映画を悪く言ったり
まあ、いいんじゃない・・レベルで語っているひとは
わからないのかもしれないが
この映画が成し遂げたことは
物語世界の革命でもあるのだ

何十年もの歳月をかけて
作り上げ
硬直してしまった物語というものの
本質を変えないで
新しく見せる技を
見せたのだ

V8!! V8!!

404 「ビーストオブノーネイション」この世には見なくてもいい現実はある

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「今夜も、水ぶっかけよう」
胃の中になにも入っていない3歳の少女が
死んだ
母親は、
同居男とLINEで
今夜は少女をどうやって虐待しようかと
話し合う

右翼の桜井よしこは
この国は素晴らしいという
飢えのない
人種の軋轢もない
職もある
この国は素晴らしいと

「ビーストオブノーネイション」の主人公の少年兵は、
目の前にいる
精神科医にいう
「僕がしたことを聞かないほうがいい。僕を見る目が変わるから」

殺された3歳の少女の虐待の詳しい情報の記事の
メッセージにこんなのがあった
「もう細かい情報はいいよ。耐えられない」
みんなそう思っている

だから
未熟な若者たちのひと時の恋のLINEや
アイドルグループの些細ないさかいに
熱中する

それで、
いいとおもう

少年兵はいう

太陽はどうして輝くのだろう
あの光を全て搾り取ってやりたい
世界が闇に包まれれば
目の前に広がるもの何もかもを
ぼくは見てなくて済むのだから

この映画
劇場で見た人間はほとんどいない
日本は映画祭のみ
本国で劇場は大コケした
でも
製作者は損をしていないし
たくさんのひとは見ている

日本でも
ただで観られる

netfilkで
劇場公開と同時に配信された
でも
あえて言います

見ないほうがいいと

桜井よしこや曽野綾子のように
現実から目をそむけ、
理想を妄想して
バカっぷるの不倫に怒り
いい大人なのに
組織を信頼していたよいこの間抜けの立ち姿を
見ていたほうがいいです

僕も君も
幸せを防衛する権利はあるんです

朝の光に感謝する権利はあります

3歳で嬲り殺された少女のことや
泣き叫ぶ少女をレイプして、
その目の前でレイプされる母親の頭を撃ちぬく映画なんか
見る必要はないんです


音楽の力 服部隆之の力

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いろいろ好みはあると思うが、
そりゃ、この音楽がつけば、
どれだけ、べたな物語でも
いや、べたな方が、さらに盛り上がるのもわかる

音楽が、
ドラマや映像の前面に出すぎるというのも
どうかと思うが、
この音楽の感情力を感じられないのなら
映像を作っている資格はないだろう

ただ
やはりTVというのは
もう年寄りしか見ていないな・・とは感じる

ちなみに
僕は上の動画のドラマを1つも、
1話も見ていない

というかここ5年ぐらい
アニメ以外のTVを見ていない
安心してください、はいてます、を
レッスンゴレライを
見たことはない
あることはYAHOOニュースでしっているが

しかし
やっぱり、服部一族の音楽の血は
恐ろしい




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