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追悼再録 家弓家正さん

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このアニメは
魅力的なキャラがたくさん出てくるが
その中で
超人的な活躍で物語を引っ張っていくナウシカの代わりに
欲望と野望で人間くさく
動いているのが
クシャナとクロトワだ。

原作においては
このふたりが、
前半から中盤にかけての物語の中心となっている。


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クシャナ

トルメキアの第4皇女。
25歳。
容姿端麗かつ優れた軍人であり、
第3軍(ヴ王親衛隊)の最高指揮官として、
兵から絶大な信頼と忠誠を得ている。

その卓越した戦術的能力と
部隊全体を鼓舞するカリスマ性から、
敵軍勢からは「トルメキアの白い魔女」と呼ばれ恐れられている。

非常に思慮深く聡明な女性だが、
王家の人間としての帝王学からか冷徹な態度を貫き、
喜怒哀楽など個人的な感情を表に出す事は少ない。
しかし母親への侮辱だけは許さず、
逆上し怒りをあらわにする事がある。

戦乱の中、ナウシカやユパとの出会いを経て真の王道に目覚めていく。

gooさんより


原作では、クシャナの皇女としての過去や
戦闘隊長として、指揮官として
部下を
失っていく悲しみや苦しみが
クローズアップされている。

特に
王族による過酷な王位継承争いのエピソードに
かなりの枚数が割かれている。

その王位継承争いに関連して
クシャナの監視役、
およびいざという時のための
殺し屋として派遣されたのが
クロトワである。

クロトワ
軍参謀。
軍大学院の学生で27歳。
平民出身で家庭は貧しかった為、
心の底に野心を秘めている。
表向きは、辺境作戦終了までクシャナ補佐役としてヴ王により派遣されたことになっているが、
実際はヴ王から、
クシャナが持っていると思われた秘石の入手と
クシャナの監視・抹殺を命じられていた。
艦隊の壊滅後、
しきりに友軍との合流を進めるクロトワの演技に業を煮やしたクシャナから、
企みが露見している事を告げられ、
打つ手が無くなった為、
クシャナの側に着く。

もともとコルベット艦の乗員だったため操船術に長けており、現場叩き上げの上官として兵からの人望も厚い。

gooさんより

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往々にして
壮大な物語の主人公というのは
物語を邪魔しない程度に
普遍性が強い性格設定になってしまう。

その反動か
その手の物語の脇役というのは
思い切り個性的で
おもしろい人物が多い。

「ゴッドファーザー」で
主人公に負けず劣らず
兄弟たちが個性的だったのも
その典型だ。

そういう意味でも、
このアニメにおける
クシャナとクロトワの個性は
ユニークという点において
ナウシカを超えているといってもいい。

特に
平民出身で
心の底に野心を秘めているクロトワは
原作でも映画でも、
大活躍である。


ふたりのおもしろさは
ナウシカと違って
腹に一物を持っているからであろう。

腹に一物(はらにいちもつ) 
心中に蟠(わだかま)りがあること。
心の中に企みごとを持っていること。


特に
クロトワは、
原作では監視・抹殺の役目
そして
アニメでは、
戦場で
下剋上の機会を狙うという
物語において
これ以上ないというほどの
おいしい設定を背負っている。

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さらに
このふたりの声を演じた、

クシャナ・・・榊原良子
クロトワ・・・家弓家正


抜群の演技力も見逃せない。

最近では
めったに俗に言われている声優を
起用しなくなった宮崎駿監督だが
この作品では
一級の声優たちが
見事に並んでいるが
中でも、
このふたりのうまさというか
安定感は抜群である。

家弓家正氏は
「未来少年コナン」のレプカ役でもおなじみ。

榊原良子さんは
もう言わずと知れた
押井守監督作品のミューズ的な存在であり
『機動戦士Ζガンダム』(ハマーン・カーン役)、
『機動警察パトレイバー』(南雲しのぶ役)、『ER緊急救命室』(エリザベス・コーディ役)、
『ニュースステーション』(ナレーション)などでも有名。

ちなみに
英語版では
クシャナの声は、ユマ・サーマン
クロトワは、クリス・サランドン



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384 「ジャージー・ボーイズ」 僕の映画の呼吸は、イーストウッド映画なんだよ

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僕は、この映画を観ていてやっと気がついた。

僕の映画の呼吸は
イーストウッドの映画で
作られたものだった


その映像の色から
音楽
カットのリズムから
感情まで・・

イーストウッドの映画は、
僕の呼吸になっているんだ・・と

それはきっと
深夜のカットだらけ
写真のキャバレーのCMの間で
山田康雄の声で
しゃべっていた
あのイーストウッドを観ながら

劇場の椅子に座って
あまりの出来の悪い
あのイーストウッド映画を
観ながら、
呆れていた、
あの時間に
自然に身に着けてしまった
呼吸だ

それを
僕は、
僕の感性
僕の感情
僕の喜び、悲しみだと
思っていた

でも違った

すべては
イーストウッドによって作られた
呼吸なのだ

だから
この映画を観ながら
僕は、
笑い、泣いた。

もしこれを読んでいるいるあなたが、
自分の映画の呼吸が
イーストウッドによって作られたものじゃないかと
思っていたら
まだ、間に合います

すぐに
劇場で見てください

まだ
イーストウッドの映画が
劇場で呼吸をしているあいだに

僕は
いま
この時代に生きて
よかったなと思います

イーストウッドを
リアルに感じて
成長して
「最近の映画はなんだかな」と
ぼやく歳になっても
まだ
イーストウッドの新作が見られる
この生まれた時代が
好きになった




385「4分間のピアニスト」これがわたしの音楽

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また例のごとく驚愕のラスト・・とか
脅威のピアノテクとかいう言葉が踊る

まず
この映画のラストは驚愕でも、
意外でも
なんでもない

なぜなら
そこに至る心情が丁寧に描かれているので、
驚愕でもなんでもない
さらに
そこで
行われる行為は、
意味があるので脅威でもなんでもない

こちとら
山下洋輔のピアノを見ているので
どんなテクでも驚くにあたらない

この映画のテーマは
「わたしの音楽を奏でること」

この映画を観るにあたって、
ひとつだけ知識があるといいのは
このひとのことです


ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
カラヤンの前にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を務め、20世紀前半を代表する指揮者のひとりとされている。

1933年 ベルリン国立歌劇場でワーグナーの「マイスタージンガー」を指揮した際、首相ヒトラーと握手している写真を撮影される。
9月15日、ヘルマン・ゲーリングの指令により、プロイセン枢密顧問官に就任。同年11月15日には帝国音楽院副総裁に就任。
1934年 ヒンデミット事件によりナチス政府と対立。
12月5日、プロイセン枢密顧問官および帝国音楽院副総裁を辞任。
1936年 ニューヨーク・フィルの次期音楽監督にトスカニーニから指名されるが、
ナチスの妨害により破談。
1938年 ドイツのオーストリア併合後、ナチスによるウィーン・フィル解散を阻止。
1939年 第二次世界大戦が勃発するがドイツに残る。国内のユダヤ人音楽家を庇護。
1945年 2月 ウィーン・フィルの定期演奏会後にスイスへ亡命
(彼を嫌うナチス高官ハインリヒ・ヒムラーに逮捕命令を出されていた)。
5月 戦時中のナチ協力を疑われ、演奏禁止処分を受ける

このフルトヴェングラーに将来を期待されていたのが
この映画の老ピアニスト、トラウデ・クリューガー。

ここからは、
ネタバレになります。ペタしてね



僕は基本的には
天才の物語が好きです

そこには、
普通の人間が至れない
孤高の世界があります

それはけして
凡人、秀才には行けない場所であり
どんなに
映画で描こうとしても
所詮は
疑似の世界です

松本大洋の「ピンポン」が
すごいのは
秀才、ドラゴンが、
人知をを越えた努力によって
天才、ペコの世界に至ったところを
描いたから

この映画「4分間のピアニスト」は
天才ふたりの物語

時代によって
歴史によって
自分の感性を封印されてしまったピアニスト
トラウデ・クリューガー

いまなら
許される、それどころか
芸術家として謳歌できる同性愛という性嗜好によって
個性を、感性を封印されてしまった

そんなトラウデがであった若き天才ピアニスト、
ジェニー・フォン・レーベンは叫ぶ

「わたしの音楽を奏でたい」

しかし
それをトラウデは認めようとしない

自分の感性、殻に閉じ込めようとする
だからこその
ジェニーの感情の爆発であり
暴力でもある

開放されたいという
感情が、
ラストに至って一気に爆発する

酒を飲んだトラウデが
その音楽を聴いて
微笑みとも
苦笑ともいえない表情をする

その表情から読み取る意味は
人それぞれだと思う。

僕は
そこに
天才同志がたどり着いた
至福の音楽世界を読み取った。







迫害、暴力、偏見で
封殺された
わたしの音楽を取り戻した

そこには
けして
悲劇はなく
たとえ肉体は、
拘束されようとも
心は無限に広がっている。

わたしの音楽はけして拘束されない

ラストに少女の
嘲笑は、
満足に満ち、
その笑顔の意味をわかっているのは
ウイスキーグラス片手の
トラウデのみなのだ

386 「エンド・オブ・ウォッチ」 LA版「闇の奥」 

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なぜか、今月はデヴィッド・エアー月間
「サボタージュ」「フューリー」が
立て続けに公開。

この絶妙のタイミングに
彼の現在までの代表作であり
大ヒット作の「エンド・オブ・ウォッチ」を
紹介してしまおうという試み。

エンド・オブ・ウォッチというのは、
業務終了という意味
ただ警察にはもうひとつ意味がある

「殉職」




この作品は一応、
ファウンド・フッテージ形式の作品となっているが
実際は、
「これは完全に第三者による映像」というのも
混じっている

つまりは
映像をリアルにするために
主観映像を取り入れているというだけである。


つまりは
よくある「画面グラグラで気持ち悪くて、
いやだ」ということはない

この手法を限りなく利用しただけなのだ。

利用してなにがやりたかったのか?

制服警官2人による
現代LAの『闇の奥』だ

イギリスの小説家、ジョゼフ ・コンラッドの代表作『闇の奥』
コッポラの『地獄の黙示録』の元になった物語としても有名だ。

任務という形で、
地獄の人間の闇に入っていく警官ふたり。

ただし
彼らは特別任務ではなく
通常勤務なのだ。

日常で、
闇と向き合わなければならない異常性。

そんなところで、
結婚して子供を育てる。





なんとなく
やたらに
アメリカのTVドラマで
制服警官の話を見ているので、
彼らにひどいことが起きようと
なんか普通のことだと思ってしまうが、
冷静に考えれば、
殺しが日常である彼らは
かなり狂っている。


この映画の制服警官2人は、
地獄の中で、
軽口を叩きながら、
生き抜いていく

映画を観ている観客は、
その地獄を作り事だと思ってみている。

しかし
本当にLAで、
警官勤務をしている人間には
リアルに見えるというのだ

信じられない
これこそが一番
恐ろしい



それなら
あのメキシコ系麻薬カルテルのやつら
本当に、あんなのがいるのか?

あいつら
本気の基地の外だぞ
ばかの中でも弩級のばかだぞ
あいつらがリアルな世界って・・。

ただ
ある国では、
外に普通に生首がさらしてあるという

まるで、
地獄の黙示録のカーツのアジトみたいに

さらに
こんなのがほんとにリアルなのかという
ゴアシーンもある

ただ
死が日常の職業のひとにとって
よくある交通事故だって
かなりゴアなのかも知れない。



映画を観た人なら
上の二枚の写真で少しほっとするかもしれない

当たり前だが
この映画に出てくるクズ野朗も
みんな役者だ

そんな当たり前のことでも
ほっとできるほど
この映画の地獄はリアルだ

本当の地獄というのは
観たくないものを見せられること。
そう実感できる映画

ますます
「フューリー」が楽しみになってきた

地下鉄で、とんかち両手に、暴れてはいけません!!

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ザ・レイド GOKUDO




いやーーもう笑ろた、笑ろた



387 「ザ・レイド GOKUDOU」山下耕作は言った。「裏切りものが」

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健さんさんが死んでしまったので本来であるなら、
幸せの黄色いハンカチ
とか
遥かなる山の呼び声
とか
夜叉
とか
もっと古いの
とか
文句なしの傑作
新幹線大爆発
とか
やりたいんだけど
なんだか、
もう
YAHOOニュースの
最近の健さんの追悼の
記事とかが
あまりにも気持ち悪くて・・

あのさ
まず健さんほど器用に生きた人もいないよ

だって
晩年になるまで映画のイメージのままの人なんている?
山城しんごちゃんみてよ
妻と娘に捨てられた
ボケろうじんだよ

他の人だって
死んだ後に
妻が、娘が、他人が
イメージめちゃくちゃにしてるじゃん
本人がめちゃくちゃにしてる場合もあるし

チャールトンへストンなんて
最低だよ
もう
彼の映画自体、見れないよ。

そういう意味では
映画以外のイメージしか残さず
さらには
死んだ後に
「健さんは、ほんとうにいい人でした」
「明るくて、おちゃめで、誠実な人でした」
って
上書きされるなんて
そんな
器用な生き方できる人、いないよ。

僕は健さんを気持ち悪いといってないよ
周りの
特に年取った男が気持ち悪いって言ってんだよ

いい歳こいて
寂しがって泣いてんじゃないよ

まあ、
どうせあんたらもすぐに死ぬんだから
そして
死後の世界なんてないんだから
もう
健さんに会えることもないし
健さんと勝新が会って、
「やあやあ」なんていってることもないから

さて、
この「レイド2」は
大体、わかると思うけど
東映のやくざ映画です

任侠映画じゃありません
仁義なきからはじまった
実録ものと言われているものです

つまりは
健さんたちが活躍した任侠ものを
完全に殺した
実録ものです





仁義なき戦いのシナリオを書いた
笠原和夫は
任侠映画で将軍といわれた
山下耕作監督にこう言われた
「裏切り者が」

実録ものの誕生は
任侠ものを
死においやった

山下監督も
それによって
事実上、
死んだ

その仁侠映画によって
スターとなった
健さんは死んだか?

その逆だ
任侠映画の死によって
彼はさらに大きくなった

ひつっこくなるが
山下監督にような生き方が
不器用なのであって
健さんは器用なのだ
会社で出世できないくせに
愚痴だけは立派な人とは
違うのだ

裏切り者によって
全盛を極めた実録もの

実のところ
構成的には
仁侠映画と変わらない
要するに
最後に
殴りこんで終わり

ただ
違うのが
仁義がないとこ

仁義なんかじゃ死なないとこ

なにで死ぬのか?

任務で死ぬ
職業で死ぬ

刑事だから
軍人だから
やくざだから死ぬ

つまり
お給料をもらってるから
死ぬのだ



忘れてもらって困るのは
やくざも
職業だ

それで食っているのだから
仕事だ

この映画に出てくる
とんかちガールも
金属バットボーイも
シラッドおじさんも

みんな
殺し屋という
お仕事だ

個人的な価値観の違いがあるとしても
それで
殺しあうことはない
もし
そんなことで殺しあったら
笑われる

「なにしてんだよ、いまどき」

全世界の映画人に
影響を与えた実録やくざ映画

そこから
世界の映画人は
いまに通用する暴力の意味をまなんだ

しかし
学ばなかった人たちがいる

日本人だ



学ばないから
「アウトレイジ」なんていう
出来損ないを傑作なんていってる

永遠の0なんてのに
泣いてる

そして
健さんが死んで
昭和が本当に終わったなんていってる

まあいい

かってに終わってろ

世界の映画人にとって
昭和も
平成も

任侠も
実録もない

そこにあるのは
映画だけだ

笠原和夫が
深作が
そして
健さんや
山下耕作が作り出した

暴力と
愛の意味を
学んでいる

学んでいないのは
日本人のみ

僕はそんな人たちの
陰気くさい
線香くさい
追悼を笑う

そんなのは
とんかちで殴り
釘抜きで、
くびり殺せばいいのだよ

ついに来た!! 頑張れJJ!! 負けるなJJ!

追悼再録 「県警対組織暴力」

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海外版が出ているということは
日本人以外のひとも
この映画をみているということになる。
わかるのだろうか・・。
これはとてもとても
日本的な映画だ。
つまり
どんなに非難されても
談合がやめられない
日本人の癒着体質の映画だ。

義とか
任侠とか
仁義とか
そういう言葉で
癒着を美化していた社会の正体を
「仁義なき戦い」で
徹底的に暴きたてた
脚本家の笠原和夫、監督の深作欣二
かれらが到達した
ひとつの芸術的な暴力映画であります。
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今年
東宝が、
過去、最高の興行収入を上げた。
(ま、ほとんどぽにゅと福山が稼いだんだけど・・)
しかし
東映はほとんど死に体といってもいい
先日も、
ある映画が完成しているにもかかわらず
公開中止になってしまった・・というニュースを聞いた。

「県警対組織暴力」
当時、
やくざ映画を目の敵にして
圧力をかけてくる警察権力に頭に来ていた
岡田茂東映社長が、便所の中で思いついたタイトル。

権力に楯ついていた映画会社
それはとりもなおさず
庶民の側に立っているということである。

ところが
そういう体質の映画会社が没落していく。
時代と言えばそれまでだが
はたして彼らの本当の姿を知っているのだろうか?

僕は
前科があるわけでもなく
ブタ箱に叩きこまれたわけでもないが
しかし
警察と対したことはある。
その口の利き方から態度まで
本当に頭にくる。
てめえら、なんでそんなに偉そうな口の利き方するんだ・・・
やめよう・・。
馬鹿に礼儀を求めたこっちが悪い・・
話を映画に戻そう。


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「銃砲刀不法所持! 凶器準備集合! 公務執行妨害!」
殴り込みをかけようと勇み立つやくざたちにビンタをくらわせる
菅原文太扮する県警、倉島署の部長刑事様
文太が
県警の刑事に扮するというだけで、完全に警察をおちょくっている。
そして
若い奴等を逮捕するどころか
けしかける。
「お前らみたいな雑魚をブタ箱に放り込んでみても税金の無駄 使いじゃ。
やるだけやって死んでこい! その方が掃除が早いワイ!!」

しかし
「無銭飲食だけはききやせんど!!」と自分の飲食代を財布からぶんどり、
「死んでいくやつにこげなもんいらんやろ!!」と
ダンヒルのライターを没収すると
「殴りこみに行って来い! コラ バカタレ!」と車を蹴り上げる。

もう見事なやくざデカである。
うんうん、
これこそがデカの本当の姿である。

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「倉島署 みんなで仲良く くらしましょ」という標語をかかげている建前
みんなと仲良くしなくてはならないのが
警察のつらいところ
やくざだからって
差別しちゃいけません。
彼らだって
人間です。
ちゃんとした市民です。

と、いうことで、
文太部長デカと大原組のヤクザの松方弘樹とも大の仲良し
情報を交換したり
どう間違ってもウプには見えない池玲子嬢を
やずりゆずられ、ドォォンドォォンと性教育。

おまけに
ベテラン刑事・佐野浅夫も「極道じゃ警察官じゃゆうて変わりゃあせんよ」と公言し、
薬屋の人妻と、
文化であるところの不倫を楽しみ、
ラブホ代を
やくざの松方に払ってもらうという、
もう至れり尽くせり、石川セリの癒着ぶり。

敵対する暴力団・成田三樹夫(待ってました!! 工藤ちゃん、工藤ちゃんの成田!!)の組の
チンピラ・川谷拓三を引っ張り
伝説の取り調べ。
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もうこのシーンは
ありとあらゆるところで
語られまくっているチン・・いや名場面。
裸に剥かれて、殴るけるの限りをつくされた拓ぼう。
打撲と擦過傷で発熱、2日も寝込んでしまった・・。
でもそのおかげで有名になり
後にTVドラマで主役をはるまでになってしまった・・。

そんなわけで、
警察、やくざ、そして池玲子・・。
みんなで仲良く暮らしてましたとさ・・・終わり・・のわけがない。
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そこにやってきたのが
ケツの穴の小さい、織田ユウジ・・じゃなくて
真面目でご清潔な警部補、梅宮辰夫!!
もうなんちゅう、キャスティングだ。
普通ならここは神山繁だろうよ・・・
それが
梅宮辰夫って・・。
もう警察をバカにするにもほどがある
最高のキャスティング!!
おれはな、
癒着も談合もドォォォンドォォンと池玲子も、
ついでにバカケンジも許さんとばかり
暴力団壊滅作戦が開始された!!

しかし
集中攻撃を受けるのは松方の組ばかり
挙句に
解散声明を発表させられてしまう!!

怒り狂った松方、
かっての腐れ仲間、佐野浅夫を人質にして
籠城してしまった。
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一度は
文太の説得を聞いて
おとなしく逮捕される松方。


ここで「俺の眼を観ろ、なんにもいうな・・」という
松方の臭いセリフを信じて
手錠を外したのが
運のつき。

今度は
梅宮を人質に取って文太に銃を向けた。


義とか
任侠とか
仁義とか
友情とか
信頼とか
そげなもの
ただの言葉じゃい!!

あとはもう生の執着に取りつかれた獣同志の悲劇しかない・・。
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深作欣二も
笠原和夫も
もういない。

警察に楯ついてまで
映画を撮ろうという会社もない。

だから何なのよ・・と言われれば
言葉はない。

でも
ひとつだけ覚えておいてほしい。

景気のいいときには
大量に雇っておきながら
景気が悪くなればケツを蹴って
おっぽりだす冷血集団。
自分たちの保身のためなら
下部の人間の死などなんとも思わない。

それが
権力を持った組織の正体です。

だからこそ
それに対抗するほどたくましさを
僕たちは持っていなくてはならない・・。

いつも、いつも
それを繰り返し繰り返し教えくれたのが
深作欣二、
笠原和夫、

東映映画だった。

だからこそ僕は
こんなときでも
せせら笑うことができる。

ほら、観たことか・・と
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パーフェクト!!!

388「フューリー」戦車の長は、若者に無理やり殺しをさせた

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いつからなんだろう?
戦争を否定するのに
理由がいるようになったのは?

ひととひとが
殺しあうのを
否定するのに
屁理屈がいるようになったのは?

あいつが殺るから
おれも
殺る

いつからなんだろう?

国家が、
餓鬼の喧嘩のレベルで、
殺しを強要するようになったのは?





物語は、よくある類のものだ。

純真な青年が戦場の現実を見て、
たくましくなる。

何度も書いているが
新人が入ってくるという設定の効果は
観客に対してその世界に
入りやすく
わかりやすくする

刑事ものでは、
もう
定番だ。
この映画の監督デヴィッド・エアーが脚本を書いた
「トレーニングデイ」もこのパターンだ。

つまりは
この映画、物語的には
新鮮味はない。

と、いうかもう
戦争映画に新鮮な物語などない

大体は映画、
そして「コンバット」でやりつくしてしまった。

この映画だって、
「コンバット」のリメイク。
ブラッド・ピットの役名が
サンダース軍曹でも通用する。

つまりは
この映画、物語りたいわけでも、
役者を見せたいわけでも
ましてや
泣かせたいわけではない

この映画が見せたいのは
戦場。

ここは戦場・・。
だから殺しあっている。
だから
怖い・・。

それだけ



とにかく
この映画の戦闘シーンはすさまじい。
僕も
それなりに戦争映画は観ているし
「プライベートライアン」も劇場で観ているが
この映画ぐらい
椅子で、何度ものけ反ったことはない

見た人ならわかると思うが、
もう
マジで飛んでくるのだ。
砲弾が

3Dじゃないのに

ズスン!と来るのだ。

「少林サッカー」をみうらじゅん氏は
正しくCGを使った映画と言ったが、
この映画もまったくその言葉が当てはまる。

CG技術のすべてが
監督にとっては
画面に戦場を再現するためのものでしかない。

それはみごとに正しいCGの使い方だ。

もしかしたら
この映画に関して
戦車の話をするひとにたいして
「この映画は別に戦車を描きたかったわけじゃない。
もっと深いテーマがある」というひともいるかもしれない

違うのだ

これは見事に戦車の映画なのだ。

もっと詳しくいえば、
武器としての戦車
人殺しマシーンとしての戦車





狭い戦車の中で、
兵士たちは家族のようになると監督はいっている。

もともと
戦場における小隊は、
家族のようなものだが、
狭くてお互いの身体が触れあう
戦車の中では
その気持ちは強くなる。

その家族の長が、
息子に命じるのは
殺しである

この映画でもまず
殺しを強要する

敵を殺せと強要する

嫌だと叫ぶ息子の手に
銃を握らせて
ひとを殺させる

なぜなら
ここは戦場だから
これは戦争だから

教えてくれないか
誰か

なぜ
ひゃくたなおきのような男が
愛を語り
それを
君たちは聞いているんだ?

なぜ、
若者に銃を持たせて
人間を殺せといっている人間が
この国の長なんだ。

本気で、真剣に
僕は問う

君は自分の息子に
無理やり銃を持たせて
人殺しをさせたいのか?

389「ゴーン・ガール」 母が娘に、妻が夫に、理想を強要する

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とにかく
揃いもそろって
全部、不愉快

デヴィッド・フィンチャーの映画は

さわやかなのは、
1本もない

まあ、ベンジャミン・バトン 数奇な人生 ぐらいが
まあ、
ちょっと観客寄りかな・・と
思うが
そんなにヒットはしなかったし
面白くはなかった

残念ながら
このひとが
暗い画面の中で
クズとゲスが
蠢くさまを
描いていると
異様な迫力を生む

このひとの映画で
素敵な気分になろうとしてはいけない

この「ゴーン・ガール」は?

はい、
ゲスの極み乙女です。





なんだろうねえ
とにかく
素敵なひとじゃなくてもいいから
もっと
普通のひとを出せないのかね
出てくるやつが
もう
ゲスばかり

そのゲスの濃度が、
メインの登場人物になれば
なるほど
濃くなるので
その臭気たるや
反吐がでる。

さらにやっかいなのが
デヴィッド・フィンチャーは
とても頭がいいひとなので
冷静に
見事な手並みで料理する

さらに
映画的センスが抜群。

ようするに
ものすごい素敵な芸術的なセンスにあふれた
テクニシャンが描いた、
うんこの絵

そんな彼の映画を
僕は大好きだから
しょうがない

時々
「ゲーム」みたいな
あきれるような駄作もあるが
ほとんどが好きだ

ただ
クリスマスとか
正月に観る映画じゃない

絶対
アベックなんかで
デートでなんか観てはいけない

さらに
絶対にやってはいけないことがある

夫婦で観る

彼は、
この映画の音楽を担当しているトレント・レズナーにこういったそうだ
偽りのない気持ちが表向きだけのような音楽をつくるように・・と
この映画を見事に表しています

さて、
ここからはネタばれです




たしかに
人間はクソです

男も女もクソ野郎です

エイミーがいった
「なぜなら、わたしはクソ女よ」

この映画は本当に、
どいつもこいつも
いやなやつばっかりです

その中でも、
僕が一番不気味で
この映画で一番いやなやつは
妻のエイミーの両親だ。

とにかく
あの善人という記号を演じているだけの男と女
正直、
この映画の悲劇(喜劇?)の根源は
すべてこの夫婦、
特に母親にある

この母親、愛しているのは自分だけである
娘のことなど
観ていない
正確にいえば、
自分の好きな娘を
娘の意思など
資質など関係なく
押し付ける
大体、
あの絵本はなんだ!!
あれをよんだ娘が
どんな風に考えるか?

そんな妻の愚行を
許した夫

世間からは
理想の夫婦に見えるだろう

そんな両親を見て
それを無言で強要された
エイミーは、
静かなモンスターになっていく。




理想など、ロクなもんじゃない

特に理想の夫婦など・・
大体
夫婦は、どちらかの理想の強要だ

相手の性格や、資質など関係なく
どちらかの理想を
押し付ける。

さらに
それを
子供にまで押し付ける

僕は、
未来になくなる制度は
結婚だと思っている

大体、
特定の異性と
何十年も性生活を強要するなんて
不自然すぎる

そう
これは理想という名の強要の映画

男と女
親と娘

そこに存在する愛の正体は、
一方的な、強要だ

デヴィッド・フィンチャーは
完璧な形で
それを再現する
スクリーンの上に

この映画の評やるんで、年末年始、暇なら見てください(全編動画)

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清水宏「有りがたうさん」
全編動画

390 「有りがたうさん」クールなドライバーさん

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ちょっと前に、
映画好きというか
映画好事家の間で、
ブームになって
「按摩と女」という映画が
草薙剛主演でリメイクされた、
清水宏監督

ちょっとした
きっかけで、
見る機会を持った

僕のような、
頑固で、
観るものも、
食べるものも、
帰る道筋も
決まりきった生活に
基本的に
不満のない人間にとって
この
まったく
予期もしなかった
機会というのは
大切だ

まったく知らないわけではない
ただ
怠惰で見ていない作品を観るというのは
本当に貴重だ。

さて、
その清水宏監督の
「ありがたうさん」だ




この映画、
本当に、クールである

ウエットなところがない

ウエットにすれば、
いくらでもできる話だ

貧乏がゆえに売られていく娘

なにか事情があって、やさぐれた女

柔和な笑顔、しかし自分の過去ははとんど話さない運転手

過酷な道路工事に従事させられている朝鮮人の女性

この映画、
ひとりも役名がない

売られていく娘
その母親

髭の紳士

黒襟の女

唯一、
呼ばれるのが
運転手の有りがたうさん・・だ。

なにかを思い出す
そう
僕のブログを昔から読んでくれているひとなら
たびたび
例に出すあの映画
「ザ・ドライバー」

この有りがたうさんも
ドライバーだ

そして
徹底的にクールなのも同じだ



一見すると
上原謙の演じるドライバーは
とても親切だ

伝言から買い物まで
笑顔で引き受け
さらに
顔見知りにはきっちり声をかける

安全運転で、
歩行者優先

通るときは「ありがとう」と声をかける

しかし
彼が、
それぞれの他人の事情に深くかかわろうとはしない

完全なるただの傍観者だ

しかし
それはあたりまえのことだ

彼は
ただのバスの運転手だ



当時
二枚目として大人気だった上原謙
同じように二枚目だったザ・ドライバーのライアンオニール。

重なる部分は多い

しかし
国が違う
さらに、時代も思い切り違う

それなのに
この清水監督のクールさはどうだ

なるほど
好事家が夢中になるわけだ

しかし
いまも昔も
日本の映画、ドラマの主流はウエット
「あっしにはかかわりのねえ、話だ」といいながら
かかわってしまう木枯らし門次郎だ

その点、
笑顔で、やさしくて
なんでも言うことを聞いてくれる
でも
深くはかかわらない
過去も明かさない
未来も語らない
このクールの極みの上原謙を描いたこの映画

いまの時代ですら
評価するひとは少ないだろう

きっと
いま、
この映画みても
痺れるひとは少ないだろう

早すぎた
まだこの清水監督の時代は来ていない。

ただ
とりあえず
素敵なことに
ただで、観られる。

あなたは
この映画のクールさに痺れることができるか?

http://youtu.be/3fK3kVs4eJs

「有りがたうさん」全編動画



391「塀の中のジュリアス・シーザー」リアルな血の世界の男たちが、シーザーの血で手を真紅に染める

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人間の精神には、血は流れていない出来ることなら

シーザーの精神のみをとらえて
肉体を傷つけたくはない
だが実際はシーザーの血を流さねばならない

だから
諸君、勇気を持って殺そう、憎悪を持ってではなく。

シェイクスピア「ジュリアスシーザー」より

この映画の構造は
きわめてシンプル。

実際の犯罪者が、
刑務所の中で、
シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を
演じる。
その稽古の様子が映される。
厳密にいえば、
ドキュメントではない。

上映時間も1時間16分

だから、
彼らの犯罪歴を詳しくは説明しない

ただ
字幕で「殺人・刑期25年」とか
出るだけだ。

しかし
それだけで十分だ。

「ブルータス、俺たちがひとの風下に立つのは
運勢の星が悪いのではない
罪は俺たち自身にある」

このセリフは、キャシアスのもの
そのキャシアスを演じるコジモ・レーガという男の罪は
殺人。
終身刑だ。

よく
役者というのはその生き様が演技に現れるという

つかこうへいが言った。
「観客が観たいのは
舞台で役者が、本当に死ぬところだ」

生と死、
ひとがひとを殺すことの意味と無意味を
何度も問いかけてきた
シェイクスピア。

それを
殺した男が
死にゆく男たちが演じる

こんな素敵な見世物があるか?
諸君!!



こんなことをいうと
反感を持つひとがいると思うが、
この映画は、
そのひとの素養によって見方が違う。
正直言って、
ジュリアス・シーザーを見たことも
読んだこともないひとが
この映画に関してどうこう言ってはいけない

観てつまらないとか
思ってたより、
あっさりしているとか
思うのは勝手だが、
ブログに書いたり、
ツィートするのはやめたほうがいい。

ついでにいってしまうが
この映画の検索したときに
上位に来る人気映画ブロガーのくせに
この映画の評で、
ジュリアス・シーザーという話は
よくしらないが・・と
恥ずかしげもなく
書いている

それを読んで勘違いしないほうがいい

シェイクスピアは
基本教養です

それを全然、知らない
読んだことがないというのは
恥ずかしいことなんです



以前に僕が書いた
ピーター・ブルックの舞台「ハムレットの悲劇」評で
示されたテーマ

心を汚さずに人を殺せるか?

シェイクスピアの悲劇、史劇は、
常に
策謀が横行して
血にまみれる
そして
おびただしい死があふれる

この映画の中で
それを演じる役者たちの世界にも
血と死があふれていた

リアルな血の世界によって
収監された男たちが、
策謀と血と死を演じる。

そこに
独特な迫力が生まれないわけがない

さらに
彼らが、
演じているのが、
罪と罰が充満する刑務所だ




さあ諸君、ローマ人たち、身をかがめ、シーザーの血に
両手を、腕までひたし、剣を真紅に染めよう
(中略)血塗られた剣を頭上に振りかざし、
声をそろえて、叫ぼうではないか
「平和だ、開放だ、自由だ」と

殺しや策謀の末に、
閉じ込められた彼らが、
殺し、開放され、殺される役を演じる

どんな気持ちで演じたのか?

この映画では
それを問うことはしない

ただ
悩みながら演じる姿のみを
映す。

そこには
シェイクスピアの世界観の視覚化があり
同時に
演技論にもなっている

つまり
役者がまったく他人になりきるとはどういうことだ・・という
演技の根本。

もちろん
80歳になるタヴィアーニ兄弟監督は
結論などださない

犯罪者が刑務所なかで
シェイクスピアのジュリアス・シーザーを
演じるために
稽古をする姿を撮っているだけだ

それを観て
僕たちは、
その素養、教養によって
無限のテーマを引き出すか。
それとも
ただ退屈だと思うか?

2015年に待ち構える、3本のダイナマイト級の新作!!

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2/14(土)公開 『マッハ!無限大』 予告篇




映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』特報

これは完璧に、2のリメイクですな


そして
そして





映画『アメリカン・スナイパー』 特報 【HD】
2015年2月21日公開

382 「ジミー、野を駆ける伝説」怒りを胸に、笑顔を

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ニコラスローグ
ワイルダー。
ヒッチコック
タビィアーニ兄弟

そして
ケンローチ

書かなくてはならない、
監督は、
でも書いていない監督が

まだまだ
なんと多いことよ

そんななかで、
まだ元気に新作を送り続けている
ケンローチ

はたして
彼のことを知っているひとは
何人ぐらいいるだろうか・・

1967年、長編『夜空に星のあるように』で映画監督としてデビューした。
2作目の『ケス』(1969年)は英国アカデミー賞作品賞と監督賞にノミネートされた。
しかし、社会問題への市民の関心の低さや政治的な検閲が原因となり、
1970年代から1980年代にかけて長い不遇時代を過ごした。

1990年代に入り、
労働者階級や移民を描いた作品を立て続けに発表。

そのうち『ブラック・アジェンダ/隠された真相』(1990年)と『レイニング・ストーンズ』(1993年)がカンヌ国際映画祭審査員賞、

『リフ・ラフ』(1991年)と『大地と自由』(1995年)が
ヨーロッパ映画賞作品賞を受賞し、
国際的に評価されるようになった。
1994年には第51回ヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞を受賞した。

2003年、日本の高松宮殿下記念世界文化賞の映像・演劇部門に選出された[2]。
2006年、『麦の穂をゆらす風』が第59回カンヌ国際映画祭に出品され、
69歳、13回目の出品で初のパルム・ドールを受賞した。

2014年、第64回ベルリン国際映画祭で金熊名誉賞を受賞した。




典型的な左翼系の監督だ

僕は、
右も左も嫌いだ。

正確に言えば
右も左もバカが嫌いだ。

頭がよければ、
まともな議論ができれば
別に、
右でも左でもかまわない。

表に出てくる
右翼はバカが多い

だから
なんとなく
左翼側に寄る

ただ
左にもバカはいる

当然のことだが


映画という総合芸術を統べる映画監督は
冷静なひとは多い

題材を
シナリオという図式にして
眺める

それを組み立てて
削る

そういう作業のうちに
嫌でも
冷静になる

以前にコスタ=ガヴラスの
「ミッシング」評のときに書いたが
左翼系の監督が、
作品のなかで
撃ちぬくのは、
政府という巨象だ

冷静に狙って
1発でしとめなければ
踏み潰される

支配者は
自分と違う考えの人間を
怖がる

だから
かならずその行動、言動を規制する

だから
支配者の対極にいる
表現者は慎重にならなくてはならない




1932年、内戦が終結してから10年がたったアイルランドに、
アメリカで暮らしていた元活動家のジミーが戻ってくる。

故郷のリートリム州で
年老いた母と穏やかに暮らそうとしていたジミーだったが、
村の若者たちは、
かつて地域のリーダーとして絶大な信頼を得ていたジミーを頼り、
さまざまな訴えを投げかけてくる。

彼らは、ジミーに『ホール』を再開してくれと
懇願する

人々が芸術やスポーツ、
歌やダンスを楽しみ、人生を語らうことのできるホール(集会所)

文化は
自由。
その自由を一番、恐怖するのは
支配者

ケンローチは
「麦の穂をゆらす風」で
アイルランドの独立運動
その後に起こった
泥沼の内戦を
容赦なく描いた。

理想を持って独立を勝ち取った後の
内部分裂

よくある話・・・だ

でもそれは本物の絶望だ

理想なんてのは
自由なんてのは
本当は望んでいないのだ
人間は・・・

ただ
ひたすら殺しあうのが人間

それは
左翼運動家の
ケンローチにとっては
絶望の結論だ

この映画の後
ケンローチは
少しアイルランド独立問題から
離れた。

恐らくは
このままではいけない・・と
思ったのだろう

人間に絶望したままでは
いけない

でも、
どんなに考えても、
結論は、
絶望しか出てこない

8年後
ケンローチは再び
アイルランドを描いた

絶望の内乱のその後を



この映画で、
ケンローチは丸くなったという人がいる。

確かに表層はそう見える。

まず
この映画の主人公ジミーは、
抑圧に対して暴力を使わない。
とにかく、話し合いでなんとかしようとする

そんなのが、
甘い現実なことは、
ケンローチは、百も承知だ

その証拠にどれだけ話しても、
理解を求めても、
抑圧はなくならない。

それなら、もう
暴力しかない・・と
でもそうなった果ての始末は、
もうケンローチは散々見て来ている
描いている
どうにもならないことは
わかっている

そこで彼はどうしたのか?

若い人たちに自分の姿を見せた

ダンスがしたいだけなのに
詩を朗読したいだけなのに
絵を描きたいだけなのに

それだけのことに対して
支配者たちが、
自分たちになにをしたのか?
それをただ身を持って見せた

恋人からも
母親からも
引き離される自分の姿を見せた

その姿が問いかける?

君たちはどうするんだい?

また
暴力で、
血を流して闘うのかい?
それもいい

でも結果はやはり暴力しか残らない

ケンローチは、
もう自分たちの世代に
絶望しているのかもしれない

この映画の製作の過程で、
なんとも象徴的なエピソードがある

いまだにフィルムで編集しているケンローチが、
ある機材素材を切らして困っていた

そんな彼を助け
素材を提供したのは
アメリカのピクサーの若者編集者たちだった。

主人公が
ラストに若者たちに見せる笑顔は
きっと
ケンローチの素直な気持ちだったんだろう

383「アメリカンスナイパー」 彼は、現存する最高のB級娯楽職人監督

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僕は、すべてのイーストウッドを、
神格化しているわけでも、
彼を巨匠と思っているわけではない。
その膨大な作品群の中には
「なんだかな・・」という作品もある
以前、『アルゴ』のベン・アフレックに対して
「第二のイーストウッド」と呼ぶのは、
ベン・アフレックに対して失礼だと書いた。
少なくとも、デビューから3作の演出力は、
イーストウッドよりベン・アフレックの方が上だ。

イーストウッドは、最強のB級娯楽映画を撮る監督だ。

間違いなく師匠のドン・シーゲル・イズムの唯一の継承者だ。

彼が、ペーターゼンに監督を任せた
「シークレット・サービス」の撮影中、
「このシーンは切り返して、撮ってみてはどうか?」と言ったところ
ペーターゼンは、そのカットが繋がるか、考え込んでしまった。
イーストウッドはそれを「そんなに考え込むようなことかな」と言っている。



イーストウッドは、リハーサルをしない。
最初のワンテイクが、最高だと言い切っている。
無駄なカットを撮らない。
シーンに対してこだわりはない。
とにかく期限内に、
決められた予算で、
最低限のカットを撮る。
これはもうドン・シーゲル主義だ。
常に、限られた時間と予算で、
最低限の絵を撮る。

今回、「アメリカン・スナイパー」で、
再び、自らの映画の興行成績を、
更新してしまった。
恐らく、これでもうイーストウッドは、
どんなわがままでも言えるだろう。
でも、彼はいわないだろう。
次回作もやはり、期限内に、決められた予算の中で、
良質の娯楽B級映画を撮るだろう。



どうも世間では、イーストウッドが巨匠扱いだ。
それもしょうがない。
世間にもう巨匠がいなくなってしまった。
でも世間は巨匠を欲しがる。
いないと落ち着かない。
結果、イーストウッドは巨匠で
さらに、あろうことか社会派になってしまった。
どうにもこうにも、
お笑い種だ。


「アメリカン・スナイパー」を見て僕は、本当に安心した。
まったく、イーストウッドは変わっていない。
「ガントレット」で、
弾丸の嵐で家をぶっ壊して、
心の底から、呆れさせた、
あの時から変わっていない。

彼が、いつも考えているのは、
どうすれば劇的になるか。
どんな物語なら、劇的の盛り上がるか?
それしか考えていない。
だから、
アメリカでこの映画を見た右と左のばかが始めた、
「160人も殺した男を英雄にするなんて」「彼こそが英雄だ」という議論も、
イーストウッドにとっては、
映画の宣伝になったとしか思っていないだろう。



スナイパーとしての才能に秀でた男に興味があったからだよ。
160人以上を射殺するという状況は、
ドラマとしてとてもダイナミックだ。

誰かが子供の命を奪うという究極的な決定を下さなければいけない状況というのは、
とても劇的なものだ

インタビューでの、イーストウッドの言葉だ。

つまりは
ドラマとしてダイナミックだから
劇的だから、
この原作を選んだ。

さらには
この職人娯楽映画監督、イーストウッドは
原作にはない新たな要素を加えることで、
この映画を
大ヒットに結びつけた。

つづく

383 「アメリカンスナイパー」2 イーストウッドは映画のすべて

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原作にない役とは、
敵のスナイパー「ムスタファー」だ

元オリンピック射撃のメダリストのムスタファーは、
神の如き腕前で、
主人公、カイルの目の前で、
仲間たちを殺していく。
どんなに手柄を立てて、
伝説と呼ばれていても、
あいつがいるかぎり、
あいつが生きている限り安眠はできない。
ムスタファーの存在により、
カイルが狂っていく・・。

ここでのムスタファーの描写がすごい。
そのテンションは、
あの「フルメタルジャケット」のスナイパーを彷彿とさせる。
確かに、ムスタファーにも栄光と家族がある・・という描写はあるが、
そこに重きは置かない。
これはあくまでも「カイル」という男の物語であり
そこから視線をずらさない。
(イーストウッドは、ムスタファーの側から描いても
面白いといっている。
「硫黄島からの手紙」のように。)



戦場における強烈な敵との、
戦いにとり憑かれていく兵士
いやというほど描かれた古典的な娯楽映画のストーリーだ。

最初、この映画のシナリオは、
西部劇のような構成だったそうだ。
つまりは戦場におけるふたりの対決を
もっと比重を置いたものだったかもしれない

ただ
それをやったら、
いまの時代は通用しないとわかっていた。
イーストウッドは。
それは、
いまの時代の映画ではリアルではない・・と。
そこが彼の凄みである。
ここに至っても、イーストウッドはいまの時代の映画を
わかっている。



この映画が、
右と左のあんぽんたんから
いろいろとごちゃごちゃ言われているのは
そのリアルさゆえだ

カイルの苦悩を、
徐々に蝕まれている日々を
丹念に描く。
これは昔はイーストウッドはやらなかった
できなかったのではない
やらなかったのだ

いや、できなかったんじゃね・・・と思う人は
「愛のそよかぜ」「センチメンタルアドベンチャー」
を観てください

やらなかったのは
必要ないと思ったから

B級戦争映画には
必要ないと思ったから

それは
「ハートブレイク・リッジ」と見比べれば
わかります


古典的なB級娯楽戦争映画の骨格を熟知しながら
いまをわかっている。

だから
僕は、イーストウッドを、こう呼ぶのだ。
映画のすべてであると。

こいつは春から、機嫌がいいぜ!!

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まずはめでたい、めでたいこの2作品が、
低価格発売!!


「エディ・コイルの友人たち」

監督: ピーター・イエーツ
製作: ポール・モナシュ
原作: ジョージ・V・ヒギンズ
脚本: ポール・モナシュ
撮影: ヴィクター・J・ケンパー
編集: パトリシア・ルイス・ジャッフェ
音楽: デイヴ・グルーシン

出演: ロバート・ミッチャム
ピーター・ボイル
リチャード・ジョーダン








「ホワイト・ドック」

監督: サミュエル・フラー
製作: ジョン・デイヴィソン
製作総指揮: エドガー・J・シェリック
ニック・ヴァノフ
原作: ロマン・ギャリー
脚本: サミュエル・フラー
   カーティス・ハンソン
撮影: ブルース・サーティース
音楽: エンニオ・モリコーネ

出演: クリスティ・マクニコル
ポール・ウィンフィールド
バール・アイヴス
リン・ムーディ
ディック・ミラー


いずれも、1000円前後で買える。
夢のようであります!!

なんせ、いままで、4000円以上だった・・・

もう戸惑いはない。

いますぐ、予約しなくてはならない

そして
もう1本はかなり複雑な思いがあるDVD発売!!



「ヒックとドラゴン2」

とうとうDVDの発売が告知されてしまった

これで劇場公開は
ほぼ絶望となった。

アニー賞受賞
アカデミーで、有力候補となったアニメを
DVDスルー。
こんなのは、
見たことない、聞いたことない

でも、
もういい。

どうでもいい。

僕はバカ高い日本版など買わない
7月まで待たない

みんな
フランス版、ブルーレイを買おう。
日本語字幕と
吹き替えが入ってるし
なにより
今すぐ観られる!!


ホワイト・ドッグ~魔犬 [DVD]/クリスティ・マクニコル,ポール・ウィンフィールド,バール・アイヴス

¥1,543
Amazon.co.jp

エディ・コイルの友人たち [DVD]/ロバート・ミッチャム,ピーター・ボイル,リチャード・ジョーダン

¥1,543
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How to Train Your Dragon 2 ヒックとドラゴン2[リージョンAB 日本.../出演者不明

¥価格不明
Amazon.co.jp

これは、来ましたねえ・・MAD MAX!!!

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