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396 「セッション」僕は、音楽の素人でよかった

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いろいろな意味で
話題の映画だ
菊池成孔というジャズミュージシャンが
この映画を酷評して
それに対して、
映画評論家の
町山さんが反論した。

この議論の顛末は、
ネットで、セッション、町山で、
検索して
町山さんのブログを読めば
すぐにわかる。

この議論を読んでいて
僕は、
アマデウスに対する、
一部、音楽家の批判を思い出した。

あの時の批判は
そのひとたちが
モーツアルトを絶対視、神聖化して
あの映画のような
俗物として描くのは
けしからん、という極めてレベルが低く
IQの低い批評で
町山、菊池論争とはレベルが違うが、
ただ
共通しているのは
専門家と、
それ以外の人の
決定的な格差だ。



音楽とか踊りとか
そういう専門的な
俗世間からかけ離れた世界を
映画で描くとき
その道の専門家は
その道の専門家しかわからない観点で
批判するときがある

その観点、理屈は、
相当文章がうまいひとでも
俗世間の、専門外のひとには
わからない

今回の
菊池さんの批評が、
全然わからないのもそういうことだろう
(まあ、かれの独特すぎる文章のせいもあるが)

ただ
それらの批評は
総じて
映画の批評ではない

つまり
この映画に関しての菊池さんは
この監督の、音楽の捕え方、考え方が不快であって
それは
極めて個人的な、生理的な感想であって
けっして
映画評ではない

つまりは
音楽にまったく素人で
楽器が一切弾けない僕にとって
モーツアルトが英語をしゃべっているのがおかしい・・
そういうレベルにしか読み取れない。

バカな評論家が
ディアハンターを観て
ベトナムの戦場で、
ロシアンルーレットなんか行われていない・・と言った
そんなことが重要か?


確かに
ディティールがいいかげんだと
その映画の力は落ちる
しかし
普通のひとにしかわからないような
ディティールに足をとらわれて
物語が停滞したら
それは
必要なもの、描かなくてはならないことなのか?

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この映画を僕は
やはりアマデウスと比較してみていた

ふたりの音楽家
凡庸と天才

凡庸は、
天才の才能に嫉妬してつぶそうとする

見る前
予告や情報で想像していたのは
教師のしごきは
若者の才能を伸ばすためであり
若者は
それを乗り越え、
より大きな天才が誕生する物語だと思っていた

しかし
この映画は
そんな上品なものではなかった

もっと下世話で、
それゆえに情熱と暴力に満ちたもの
町山さんの言うように
完全なバトル映画だった


僕は
音楽に関して
素人なので他人の意見を鵜呑みにするが
鬼コーチのフレッチャーの指導は
完全に的外れであり
ゆえに
それにしたがっているアンドリューも
間違った方向に
突っ走る。

それは
物語が終盤になると
信じがたい世界に突入する

僕は
このラストに燃えた

まるで
あしたのジョーのホセメンドーサ戦の
最終ラウンドのぶん殴りあいだ
音楽の殴り合い

そこで演奏される音楽に、
燃えに燃えた

それが
音楽的に正しかろうが間違っていようと
どうでもいい
映画的な
構成、表現によって
興奮のるつぼに叩き込まれた。

僕は
この映画を観てシミジミ思った

音楽の素人でよかった・・と


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